夢と形 -- dream & shape
2005-10-11T05:45:41+09:00
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文芸&哲学プレイ
Excite Blog
キラキラして見える
http://hanmujin.exblog.jp/2865900/
2005-10-11T05:43:36+09:00
2005-10-11T05:45:41+09:00
2005-10-11T05:41:31+09:00
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その他
そんなこととはつゆ知らず、友人達と参加してみることにした。しばらく参加していると、終了後かなりお腹がすくことが明らかになった。
そこで、頭のいい友人の一人が、給食のパンを半分残しておくという作戦に出た。彼は、我々にそのパンを見せびらかす。そのパンはお腹が空いているから、かなり美味そうに見えた。普段は残したりしてるのに(笑)。
ここからわかること。「飢え」の感情があると、大したことがないものでも、キラキラして見える。冷静に価値判断をするのは、なかなか難しい。]]>
値か差異か
http://hanmujin.exblog.jp/2732400/
2005-09-19T17:24:42+09:00
2005-09-19T17:22:55+09:00
2005-09-19T17:22:55+09:00
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その他
しかし、10点からの50点と、80点からの90点とどっちかいいのか。]]>
暴走族を避ける
http://hanmujin.exblog.jp/2725108/
2005-09-18T13:17:26+09:00
2005-09-18T13:15:12+09:00
2005-09-18T13:14:59+09:00
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見たはずの夢
自転車を降りて道の端で休んでいると、一団は目の前を通り過ぎていく。そのあと「ギャー」という声が聞こえるので、道の先に進んでいくと、下り坂の先に湖があって、暴走族団は落ちている。
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読書論
http://hanmujin.exblog.jp/2700731/
2005-09-14T13:16:01+09:00
2005-09-14T13:13:39+09:00
2005-09-14T13:13:39+09:00
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その他
まず、内容を理解して、手持ちの駒とする、または血肉化する段階。
それから、内容を対象化して、どの程度で有効か、その他の知見とのからみでどのような位置関係になっているかを考察できる段階。]]>
選挙、応援
http://hanmujin.exblog.jp/2646905/
2005-09-06T01:56:00+09:00
2005-09-06T03:18:56+09:00
2005-09-06T03:14:15+09:00
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その他
逆に、自分が投票した候補者は必ず当選するシステムであれば、それはヤバイ(笑)。
この話は、スポーツなどの応援とも似ている。
自分が応援しているチームが勝ったとする。まあ、嬉しいだろう。でも、「応援」と「勝利」との間に因果関係はないだろう。逆に「因果関係がある」と考えるのはヤバイ(笑)。]]>
歴史観のいろいろ
http://hanmujin.exblog.jp/2623815/
2005-09-02T18:39:00+09:00
2005-09-15T14:04:24+09:00
2005-09-02T18:36:25+09:00
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その他
アジア的段階→ギリシャ的段階→ローマ的段階→キリスト教的段階。
■マルクス史観(唯物史観)、進歩史観
歴史の推進力を生産力に置く。発展に応じて、社会が段階的に発展していく。
原始共産制(アジア的)→奴隷制(古代的)→封建制→近代資本制(近代ブルジョア的、資本主義)→社会主義(共産主義)
●講座派('40頃日本共産党が採用) 現在は近代以前とする
●労農派('40頃日本社会党左派が採用) 現在は近代資本制の段階とする
■ユダヤ-キリスト教
やがて、最終戦争が起こり、人々は最後の審判を受ける(新約「ヨハネの黙示録」)。
正統派神学では、これを暗喩ととるが、異端の千年王国主義(ミレニアニズム)では、いずれキリストが降臨し、ユートピアを地上に実現するため、反キリスト=悪竜との闘いを開始しなければならないと考える。
■仏教(末法思想)
仏陀入滅→正法→象法→末法→世界の終わり
■司馬史観
司馬遼太郎『坂の上の雲』に表現されている。
明治維新、日露戦争を高く評価。日露戦争後から太平洋戦争敗戦までは、ダメ。戦後、高度成長は評価。革命を前提としないマルクス史観労農派と近い。
■自由主義史観
明治以来の日本を評価。日露戦争、太平洋戦争もまた防衛戦争と見る。
■イエ社会史観
『文明としてのイエ社会』(村上泰亮・公文俊平・佐藤誠三郎)に拠る。
古代から平安時代までは、「ウジ」(氏)社会。血縁的集団で、血統を重んじ、神話的呪術的原理で統制。最大の集団は、天皇家、藤原家。
平安末期より、「イエ」(オイエ)社会が台頭。血縁の結びつきではないが、「御家」運命共同体の構成員としての帰属意識を持つ。「イエ」の完成形態は「大イエ」(具体例は、室町後期の戦国大名)と呼ばれる。「イエ」システムは、近代国家の原理とはなり得なかったが、企業などの中間共同体の組織原理として有効だった。
司馬史観の日露戦争後~太平洋戦争敗戦のダメ期の理由を説明できる理論。網野史観は、イエ社会のネガ(周辺部)か?
<参考>
マルクス主義-Wikipedia
三つの歴史観
文明としてのイエ社会
『バカのための読書術』(小谷野敦)、『アナーキズム』『ナショナリズム』(浅羽通明)]]>
『はじめての進化論』を読む
http://hanmujin.exblog.jp/2582635/
2005-08-27T12:13:00+09:00
2005-08-27T20:46:45+09:00
2005-08-27T12:35:09+09:00
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読書メモ
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/
たとえば、こういう日本語。
>進化とは、遺伝する、あるいは世代を越えて受け継がれる、性質の変化である。
「性質が変化」したなら、「世代を越えて受け継がれ」たのではないのでは?、といった疑問が浮かぶ。難しい日本語だ。
あるいは、個体と種の関係について。
>五章で述べるように、実際には形態で分類した生物集団を扱っていながら、
>それがあたかも生物学的種概念による種、あるいは進化している集団として
>考察している、ということがある。進化に関する論議では、このような場合が
>意外に多く、進化理論の論議を誤った方向に導いている結果になっている
>ので、注意したい。
苦労している様子が伺える。
進化を解き明かそう(これまでの実証結果を整理しよう)、あるいは進化というのものは、ダーウィンの視点で見ていくとすっきりしますよ、ということではなさそうだ。それよりも、ダーウィンを守ろう(反創造説、反キリスト教世界観)というドライブに力が入っている。そして、悪い誤解による過激な社会ダーウィニズムに流れないようにしようというドライブに力が入っている。科学的な真実が、現行の「社会的な善」とあらかじめ一致している必要はない。科学的な真実によって、現行の「社会的な善」が解体、再構築されるものだろう。
そのために、継ぎはぎだらけ(一本スジが通っているように見えない)の印象。やはり、「進化論」自体は、擁護してもいいが、「ダーウィン」進化論にそこまで固執しなくても、という気分になる。とはいえ、他の進化論もそんなにパッとしていないようだが。
「歴史観」という言葉がある。個々の歴史的事実から、大きな流れを概観するというものだ。どの歴史観が正しいか決着が着かなかったり、新事実が明らかになると歴史観の修正変更が求められる。進化論もこの歴史観というものと似ているようだ。
生物(歴史)を、あらかじめ進化論(歴史観)という前提を置いて見ていくよりも、分子生物学、動物行動学あたり(個々の歴史的事実)という切り口で見ていくほうがいいのではないかという気がする。
トップダウン(大きなものから小さなものへ)ではなく、ボトムアップ(小さなものから大きなものへ)。]]>
文脈-8
http://hanmujin.exblog.jp/2564774/
2005-08-24T19:38:04+09:00
2005-08-24T19:36:07+09:00
2005-08-24T19:35:52+09:00
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その他
では、「魚の釣り方を教えてあげるより、釣り針や釣竿の作り方を教えてあげる方がよい」ということになりはしないか。無限後退。
いや、後退できるところまで後退してみてはどうか。]]>
三浦梅園を読む #12 『多賀墨卿君にこたふる書』精読5
http://hanmujin.exblog.jp/2544472/
2005-08-21T21:09:17+09:00
2005-08-24T20:24:45+09:00
2005-08-21T21:07:00+09:00
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三浦梅園を読む
天機=没において天地を構成する
天=宇宙(時間、空間) 機=転持(運動、支持)
性体=露において天地を構成する
性=水火(液、華) 体=虚実(天、地)
●「天人」
ここでは、反観の対となる「推観」という見方が説明されている。人を知るための「推観」とは、「恕」(思いやり)のことだ。
「私自身もまた天地そのものではないので、私にも習気による偏見が多いことだろう。私の書いた梅園三語(『玄語』、『贅語』、『敢語』)の数十万語についても、天地に合致するところがあれば、その功績は天地に帰すべきで、天地に合致しないところは、私に責任がある。しがって、むやみやたらに私の説を信用してはいけない。」
『多賀墨卿君にこたふる書』精読 了
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三浦梅園を読む #11 『多賀墨卿君にこたふる書』精読4
http://hanmujin.exblog.jp/2521987/
2005-08-18T09:02:23+09:00
2005-08-24T19:41:08+09:00
2005-08-18T09:00:09+09:00
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三浦梅園を読む
さて、この後は、さまざまな対(つい)になった概念が、数多く登場する。
気物 気=かたちのないもの 物(ぶつ)=かたちあるもの
神物 神(しん)=生き生きとしている状態 物(ぶつ)=かたちあるものの姿
活立 活(かつ)=(神とほぼ同じ) 立(りつ)=(物とほぼ同じ)
精粗 精=気がこまかくなったもの 粗=気が粗くなったもの
没露 没=(気によって)見えなくなったもの 露=(気によって)見えるようになったもの
「神物」「活立」は、上記のように理解してみたが、うまく表現できていない感も残る。
たとえば、語の説明というものは、英語を日本語で、専門用語を日常用語で、というようにある体系をある体系に対応させるのがすっきりしたやり方だ。しかし、梅園は、語(漢語)を独自に再定義し直している際に、梅園語を梅園語で説明してしまっているためだ。
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三浦梅園を読む #10 『多賀墨卿君にこたふる書』精読3
http://hanmujin.exblog.jp/2515063/
2005-08-17T09:17:28+09:00
2005-08-18T05:04:19+09:00
2005-08-17T09:14:58+09:00
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三浦梅園を読む
●「条理」「反観合一」「陰易」
さて、これから先は独特の用語が出てきてちょっと難しくなってくる。
まず、天地を達観する秘訣は「条理」だ、という。条理の奥義は、これまでに説明された「習気を払拭すべき」(執着心を捨て、懐疑する)、「天地を師とすべき」(自然を先生とせよ、実際のものをよく観察せよ)、そして、もう一つ「反観合一」。
「反観合一」とは、あらゆる存在というものは、相反する二つのものから成立しているから、まず二つのものが対立していると見る、そして、その二つのものが合わさっていると見る、この両方の見方をするということ。
また、「条理」は、現代人から見て、自然界におけるルール(法則、パターン)のようなものだと理解されるような説明もなされている。
また、「相反する二つのもの」は、「陰易」(「陰陽」から、それぞれこざとへんをとった文字。文字が表示できないため、以下仮にこのような表記をする)であるとも説明されている。
なお、「条理」「反観合一」は、学問に対する態度(心持ち)とも、学問の方法論とも取れる説明のされ方である。]]>
「実在」という言葉 #2
http://hanmujin.exblog.jp/2509425/
2005-08-16T14:27:20+09:00
2005-08-16T14:25:06+09:00
2005-08-16T14:25:06+09:00
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その他
たとえば、世界史、日本史などの歴史は、史料(文書)や発掘された遺跡などから、当時の人々の様子を推測して出来上がってくる。個々の証拠から、歴史という「実在」になんとか迫ろうとするわけだ。
あるいは、ネットでのコミュニケーションでは、相手の表情などが見えないが、文章の調子などから、相手の「実在」になんとか迫ろうとするわけだ。
<参考>
『時間は実在するか』を読む #1
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三浦梅園を読む #9 『多賀墨卿君にこたふる書』精読2
http://hanmujin.exblog.jp/2500783/
2005-08-15T03:01:53+09:00
2005-08-17T09:22:56+09:00
2005-08-15T03:00:13+09:00
tyuuya2
三浦梅園を読む
さて、執着心を捨てた後は、「天地を師とすべき」(自然を先生とせよ、実際のものをよく観察せよ、確かな証拠を探せ)と説く。
その前に書物というものがある。最初は書物に頼るのもいいが、この書物がまた「習気」の元になるので、注意を促している。聖人や、仏陀と言われる人も、結局は人間なのだから、研究、討論の友にすぎない、と述べる。また、よくやってしまう悪い癖が、説を言い出した人を神聖としてたてまつることであると言う。
なお、ここには直接記述はないが、梅園は医者なので、解剖(実証)などもやっているようである。
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三浦梅園を読む #8 『多賀墨卿君にこたふる書』精読1
http://hanmujin.exblog.jp/2500341/
2005-08-15T01:30:41+09:00
2005-08-16T10:24:33+09:00
2005-08-15T01:29:01+09:00
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三浦梅園を読む
『多賀墨卿君にこたふる書』(『三浦梅園自然哲学論集』収録)は、梅園哲学の基本を解説したものとされている。まず、ここらへんからまとめていくことにしよう。
●「習気を払拭すべきこと」~執着心を捨て、懐疑せよ
「習気(じっけ)」とは、仏教用語で「執着心(こだわり)」のこと。とくに、梅園は、無意識の擬人化(人間をモデルにして自然を理解しようとすること)を戒めている。
また、俗説に流されないように、「物をあやしみいぶかる心」(懐疑心)を説く。そして、懐疑の焦点は、「うたがひあやしむべきは、変にあらずして、常の事也。(疑いあやしむべきことは、異常な出来事ではなくて、日常のこと、当然と思っていること)」と、孔子「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん(生のこともわからないのに、どうして死のことがわかろうか)」(『論語』先進)を、引いて説明する。
「枯木に花咲きたりといふとも、先(まず)、生木に花さく故をたづぬべし。」Sense of Wonderですな。
#なお、『多賀墨卿君にこたふる書』の原文は以下のサイトでも読める。
多賀墨卿君にこたふる書]]>
「実在」という言葉 #1
http://hanmujin.exblog.jp/2489164/
2005-08-13T00:04:00+09:00
2005-08-16T14:25:34+09:00
2005-08-13T07:08:43+09:00
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その他
たとえば、「take」という英単語には、「手に取る」「獲得する」「持って行く」など、50近い意味があるという。しかし、この言い方は、日本語に翻訳するときに発生せざるを得ない言い方で、ネイティブにとっては、おそらく意味(あるいはイメージ)は一つしかない。
つまり、このとき「take」の意味内容は、ネイティブにとっては「実在」していると考えておかしくない。]]>
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